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お次は藤堂家でござーい。

伊賀上野は、武将の藤堂高虎が、戦国時代が終わった後、お城を建てて町を整備したそうなのです。
(で、いいんですよね…)

江戸時代中は、高虎の子孫さんが現在の三重県に置かれていた津藩を治めたですよ。なんで、津藩は通称、藤堂藩って呼ばれることもあるそうです。
(関係ないですが、しばらく津藩=藤堂藩だと気づかずに、藤堂藩という藩が実際あるのかと思いそうになってました。危ない。)

そして、高虎の家臣の子孫さんたちが、藤堂藩を支えていました。
子孫さんたちみんな、高虎さんの苗字をもらって、藤堂と名乗っていたので、藩の上層部はみんな藤堂さんです。ややこしいな…。

その家臣の藤堂さんが、芭蕉さんとももちろん、関わりあるのです。

という訳で、ゆかりの場所を巡ってきましたよ。


・伊賀上野城ー!
高虎さんが建てたお城ですかー。

�������
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この写メを撮った後、なぜかお城の入り口で携帯が操作不能になってしまったんですが、なんかあるの?(一種のパワースポット的な)

高虎さんや藤堂家の武具に混じって、芭蕉さんの文机とかも展示してありました。何で?

一番上の階の天井には、枠の中に書画がはめ込まれていたんですが、虚子の直筆色紙もありましたよー。おお

・山渓寺

お寺です。町のメインストリートから路地入った住宅地の中にどーんとあります。

何でこのお寺に行ったかというと、

送信者 20101024伊賀上野

蝉吟さんのお墓があるのですよ!

墓所の地図 ↓

送信者 20101024伊賀上野

蝉吟さんは、芭蕉さんの元・上司です。


蝉吟さんはとても俳句好きで、芭蕉さんと一緒に俳句を作ったりしていましたが、25歳で亡くなってしまいました。仕える人を亡くした芭蕉さんは、武家のお勤めを辞めて、俳句のプロになるために江戸に行きます。

蝉吟さんは芭蕉さんを俳句の世界に導いた人であり、芭蕉さんが生涯、俳句を作っていくきっかけになった人でもあるのです。

送信者 20101024伊賀上野

ひときわ大きいお墓でした。2.5mくらい…?


ちなみに蝉吟さんは、高虎さんの家臣、藤堂新七郎家のお坊ちゃんです。

芭蕉さんと一緒に俳句を作ったのは、お城の敷地内の新七郎家裏屋敷だそうで。
下の地図では、市立上野西小学校のグラウンドにあたるみたいです。
チラっとしか見てないけど校舎木造の棟があって趣あったよ!




大きな地図で見る

ちなみに、蝉吟さんに仕えていたとき芭蕉さんは、新七郎家下屋敷という、中級~下級武士さんが住む寮で暮らしていたそうです。上の地図ではお城の東(右)側の区画の中にあったんだそうな。

現在は中学校になってます。

送信者 20101024伊賀上野

桃青は芭蕉さんのもう一つの俳号です。
名前かっちぇえーなー!

・藤堂神社?

町の中の路地で道に迷いそうになったときに、たまたま見つけたんですが、

送信者 20101024伊賀上野

お社の看板に、

送信者 20101024伊賀上野

藤堂家となにかゆかりあるんですかね…?

送信者 20101024伊賀上野

とてもこじんまりとした神社でした。
鳥居なかったら全く気づかないだろうな…。

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